比延地区人教 市外研修「人道の港『敦賀ムゼウム』」

6月24日(土)、市外研修で「敦賀ムゼウム」に行ってきました。区長さんや推進員さん一般参加の方等総勢21名の方が参加してくださいました。天候にも恵まれ大変有意義な研修ができました。また、行きのバスでは、皆さんに自己紹介もしていただき、参加者の皆さんとお近づきになれたように思います。

「ムゼウム」とは、ポーランド語で「資料館」という意味です。そこでは、「命」の大切さや「平和」の尊さが伝えられていました。

1940年代に杉原千畝が発給したビザを携えたユダヤ難民が上陸したのが敦賀港です。杉原千畝については、テレビで取り上げられたり教科書に出てきたりして有名ですが、市外研修に参加するまでユダヤ難民が上陸したのが敦賀港だということは知りませんでした。

杉原氏は、大戦中、外務省の方針に背き、迫害を受けたユダヤ人に日本を通過するためのビザを発給しました。その「命のビザ」を携えたユダヤ難民がシベリア鉄道を経て敦賀に降り立った時、「天国(ヘブン)」に見えたと語ったそうです。ビザを発給した杉原氏のみでなく、いろんな人々の必死の人道的な善意のリレーによって数千人の命が救われたといわれています。

1920年代には、ロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が上陸していました。2度にわたって計765人の子ども達がウラジオストクから船で上陸し、アメリカやイギリスを経由してポーランドに帰ったそうです。日本に滞在している間に社会福祉法人やそのほか様々な所から寄付や援助があり、栄養失調だった孤児たちも徐々に健康を取り戻していったそうです。

数々の苦難を乗り越えて敦賀に降り立ったポーランド孤児とユダヤ難民に対して、当時の敦賀の人たちは暖かく迎え入れました。リンゴをあげたり、無料で浴場を開放したり、お金のない難民の時計を買い取ったり、食べ物を提供したり、、、、。そして100年たった今も心温まる交流が続いているということです。

今回の市外研修では、いろんな人たちがいろんな形で、困っている人を助けようとし、多くの命が救われた事実を知ることができ心が温かくなると同時に、反戦への思いを強くしました。今も続いているウクライナ侵攻が1日も早く終わるよう願うばかりです。